サヨナラ夏。
2006 / 08 / 31 ( Thu )

タケジいさんちの縁側に座って
これでもかというくらい合唱するセミの声を聞きながら
もう8月もおしまいかぁとおもう
さあ採ってくるか というかけ声と共に一緒に畑に出る
日差しをじりじり背中に感じつつ
ゴーヤにヘチマ、水茄子に豆、トマトにバジルを採りながらの夕暮れは
後ろを通るバスの音が猫バスの音のようにも思えて
まだまだ夏休み真っ最中の小学生のわたしになる
採りたてのゴーヤでチャンプルーを作り
扇風機とカナブンがブンブンいう中食べる
タケジいさんは おいしそうにビールをゴクゴク飲む
いくら暑くても9月になったら夏じゃない
いくら涼しくても8月は夏だけど
9月はどんだけ太陽がジリジリいったとしても夏のキラキラはない
キラキラ?私は夏が嫌いだから別にいいの
なのに少し寂しい気がするのはなんでかな
本当は嫉妬するくらい夏の何かに恋い焦がれているのかもしれない
そんなことを思っていたら
膝にコオロギが飛んできて
あまりのタイミングに
秋が来た と思った
秋さんこんにちは
まだセミがうるさく鳴いているのにね
明日からもう9月
(photo:ハイビスカス@串本)
ゆらゆらこいごころ。
2006 / 08 / 29 ( Tue )

ひとりぼっちじゃ立っていられない子を見て
なんでそんなに弱いんだろう と思っていた
私だって強くはないけれど
人は結局一人なんだからと
ぐんぐんとさっそうと歩いていたつもりだった
それは弱さを隠した強がりだったのか
誰かといるぬくもりを知らなかったからか
一度知ってしまったら このあたたかさの中で
ずっとぬくぬくいたいと思うようになってしまった
ささいなことで不安になったり 寂しくなったり
寂しい と口に出して言うようになった私は
弱くなったのかな
けれど
一緒に笑う時に溢れる
まぁるくしあわせなきもち
弱いとか強いとか考える前に自然と溢れるこのきもちは
何よりも強くて 私をやさしくさせる
寂しい時に寂しいと言えるようになったことは
もしかすると 心の中の余計なものが落ちたのだろうか
そうだったらいい
どんどんシンプルになって
素直なこころでいられたら
すごくいい
(photo:窓辺のこども@横浜のカフェ)
夏のひかり。
2006 / 08 / 11 ( Fri )

小さい頃の強く焼き付いてる思い出は考えてみたら季節はいつも夏だ
キラキラと楽しくてまぶしくてどこかせつない
そう あの頃から 表現の仕方は知らなくても
せつないという感覚は私の中にくっきりとしんしんと あった
のどもとまで出かかってる どこか行ってしまわないで というような感じ
桟橋の上で海風に飛ばされたお気に入りの白い帽子
うるさいミンミンゼミの声を聞きながら扇風機の前で飽きもせず「あーあー」言っていた昼下がり
小さなビニールプールの水面に反射するまぶしい太陽の光
ひぐらしの声が響く中 大きな黒い木の影が怖かった夕暮れ
セミを入れた瓶を落として割って足の指から流れる血が怖くて泣いた
戦没者慰霊のための黙祷を告げるサイレンが響く朝
テレビから流れる甲子園の応援
境内に響く盆踊りの音楽と輪になって踊る浴衣姿のひとたち
沢山の背中の隙間から見るヨーヨーすくいのカラフルなプール
まぶしい花火の光とけむりの匂いとバケツに入れた時のジュッという音
窓の外で手を振るおじいちゃんおばあちゃんの姿を見るのが辛かった帰りの列車
私は暑い夏が すごくキライだ
キライ なのに
太陽にジリジリ焼き付けられた刻印のように残る思い出達
(photo:夕暮れの海@油壺)
| ホーム |
